2013.7.8
三代目奮闘記
第98回『ジグソーパズル的思考』
ジグソーパズル的思考 2013_07_08
積み木ではなくジグソーパズル。自分の思考方法を玩具に例えると、こうなるだろう。ゼロから何かを作り上げる時、一番基礎となるものの上に、次に考えられるものを積み上げる。その上に、次から次へと目標の高さに向かって積み木を積んでいく。完成に近くなるにつれ、積み上がった積み木は不安定になり、恐ろしくて次の積み木が詰めなくなる。ちょっとした外乱があると、積み木は揺らぐ。崩れる事を恐れて手を止める。
例えば、一つのプロジェクトを達成まで導く時、こういう思考になりがちだ。そうならないよう、という戒めもあり、ジグソーパズル的思考をするようにしている。 筆者の場合、ジグソーパズルを作る時、まず、一番端に当たるピースをより分ける。そして、それを順番につなぎ合わせ、完成像の大きさを把握する。外周ができあがると、それが風景であれば、地面がどこまでで、どこから空で、というふうに中の景色が予想される。最後に完成される絵を常に頭に浮かべながらピースを配置。ピースが埋まるごとに感情は盛り上がる。あと二つ、あと一つ。ペースも一気に早まり、ジグソーパズルは完成する。
ジグソーパズル式の思考方法は、やはり完成の形を絵のような全体が見渡せるような描き方をすると良い。達成すべき目標も、一つの定量目標ではなく、定量目標を達成するため必要な要素がマッピングされたものであったり、細かくタスクまでばらされていて全体のボリューム感まで見渡せるものであればなおよい。今、一つ達成したタスクが、全体の中で目標に少し近づくためのただの一歩なのか。それとも、全体像の主要な部分を埋める一つのピースなのか。この考え方の差で自分のやっていることを見失わず客観的な視点を持ちつつ進められる。
高校時代、大学受験勉強で、やらなければいけないと決めた参考書の山を目の前にして、一時は途方に暮れた。しかし、最初の1冊目の1ページ目からやらず、全体を見渡して、やりやすそうなところ、興味深いところ、挑戦しがいのありそうなところをピックアップしてやり始めた
受験直前になっても、結局ジグソーパズルのピースが最後の一つまで埋まるまではいかなかった。しかし、全体が見えている中で、どこまではカバーできているという安心感があった。穴のあいた所が出題されてしまったら運が悪いと開き直った。もし、積み木式にすべてをクリアしようと思った時、途中でできない問題、やりたくないものがあった時、そこで止まり、不安がつみ上がっていた。これはうまくいった作戦である。
その後、会社の仕事も、とにかく全体像を把握し、効率よく塗りつぶし、全体でどこまでできているかを把握するようにしている。精神的にもこの方法に助けられる。
(日刊工業新聞 7月8日付オピニオン面に掲載)