第86回『日立産業界いまむかし』

日立産業界いまむかし  2013_03_18

日立市を訪れた。言わずとしれた日立製作所の巨大な工場がある、日本の工業化を支えてきた都市の一つである。今回、ひたち立志塾という茨城県県北地域の若手経営者や後継者、現場責任者など、熱い思いをもったメンバーによる勉強会の報告会にコメンテーターとして参加させていただいた。メンバーの方々とは少し前から交流があり、由紀精密にも見学に来ていただいたことがある。

 

日立市を中心とした地域の製造業は、これまで日立製作所とともに発展してきた。”待っていれば仕事が来る”という状況が続いていたということだ。しかし、リーマン・ショックや東日本大震災と想定を超えることが続いた。この状況に危機感を抱く若手経営者の方々が、地元だけではなく、県外や海外からも仕事をとって、技術を大きく展開していこうと立ち上がった。

 

六つのグループの発表を聞き、それぞれ興味深い着眼点で活動しており、参考になった。報告会のほかに、ひたちメタルツアーという企画に参加した。日立の発祥になった日立鉱山とそこの修理小屋から始まった日立製作所の見学、さらには地元の中小製造業を3社回るぜいたくな企画である。

 

鉱山の仕事は過酷である。閉鎖された狭く真っ暗な空間。地熱と地下水による高温多湿。岩を砕くごう音が響き渡っていたことだろう。産出された良質の銅が日本の製造業の発展を支えた。閉山し、緑に囲まれたこの日立の山で、かつて何千人もの労働者が働き、家族もここで生活していたことを思うと感慨深い。

 

山の中腹、緑の中に唐突に存在する1本の古い煙突。かつては155・7メートルを誇る世界最大の煙突だったそうだ(現在は老朽化で上部3分の2が崩壊)。周囲を悩ませる煙害への対策として1914年、今から100年ほど前に、すべて人力で完成させている。記念館で見ることができる建造中の写真は圧巻である。木を荒縄で縛った足場は150メートルを超える高さ。その上に立つ作業員。見ているだけでおなかの下の方がゾクっとする。

 

この鉱山は他の鉱山に先駆けて電機化が進んでいた。鉱石を運ぶのに電車を使ったり、エレベーターや送風機に大型のモーターを使ったり。ここで日立製作所の第1号の商品である国産初の5馬力誘導電動機(モーター)が作られた。

 

とても印象深い日本の工業化の歴史と、現在のひたち立志塾の熱い思い。さらには2年前にこの地を襲った大震災、今でも見られるその痕跡。これらが頭の中を駆け巡り、なんとも表現し難い、複雑な思いでいっぱいになった。

20130318

(日刊工業新聞 3月18日付オピニオン面に掲載)